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日本人好みのルーティーンと「憎しみ」「いやらしさ」の共存 [想うこと]


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前回言ったように、北斗の拳を
auのビデオパスで見てます。

ちょうどジャギが死んだとこまで見ました。
30話を少し過ぎたあたりです。
全部で109話もあるのでまだまだ先は長いです。




子どもの頃のように胸踊らせてみてます。
というか拳を握りしめて見てます
^^;


愛するものを奪われたり、また親友とその愛を奪い合い、そして殺しあう。
生と死の間で憎しみ合い、そしてお互いが許しあう。
一話一話、理不尽な様に憤り、
またケンシロウに自分の思いを重ねあわせて見てます。
そんな見方はたぶん中学生の頃と同じなんだと思います(笑)



残任で、放送コードにも引っかかりそうな映像や描写。
よくこんなアニメが許されたなと80年代を思い返しますが、
こういうアニメはもう出てこないのかなと思うと残念でなりません。




今のアニメは娘が見てるものをちょっと覗き見するぐらいですが、
昔に比べ描写も健全で
北斗の拳のような過激な描写もありません。



「くそう!!」って拳を握りしめるほどの憎悪だったり、憎しみだったり、
ああいうのは流行らないんでしょうかねぇ。もはやスポ根の類なんですかねぇ。

あと、今回北斗の拳を見返していて気づいたことがあります。
それは圧倒的な力だったり、それを隠していてそれが露呈する時の爽快感です。
北斗の拳でいうところの胸の7つの傷が服を引きちぎって現れるところでしょう。




それは水戸黄門の印籠提示と似ています。



僕がなぜ水戸黄門が好きなのかよくわかりました。

この単純明快なルーティーンに日本人は弱いのです。



逆転が好きなんです。


弱いものが強いものを倒すことよりも、強いものが自分の強さを隠して

最後に魅せつける瞬間が好きなんです。非常にいやらしい手口で(笑)



例えばですよ。現役の東大生が駅のガード下で乞食の真似をしています。
その前を塾帰りの親子が通り過ぎます。

「勉強しないとこんな人になるのよ」とその母親は息子に言います。


そこでその乞食は東大の学生証を突きつけてやるのです。

そんないやらしさなんです(笑)




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